HISTORY

年表・大地震の記録

来堕村のあゆみを、記録に残る範囲でご紹介します。

来堕村 年表

江戸時代中期ごろ深刻な飢饉に見舞われた村に、遠国から三人の旅人が訪れたと伝えられています。豊かな実りをもたらす術と、感謝を捧げる「さわぬら祭り」を教えてくれたのだとか。以来、村の田畑は見違えるように豊かになったそうです。(むかしむかしのお話も、あわせてご覧ください)
年代不詳「さわぬら」という言葉は、いつしか村の日常の中で、大切な人への感謝を表す言葉として使われるようになりました。
明治22年(1889年)ごろ町村制の施行にともない、「来堕村」として発足したと記録されています。
大正〜昭和初期山あいの小さな農村として、静かな歩みを続けます。
昭和29年(1954年)4月村長家に、近隣の地主の家から嫁が迎えられます。
昭和29年(1954年)春〜夏村の開発計画が持ち上がります。
昭和29年(1954年)7月村長・本郷総一郎が不幸な事故により急逝します。
昭和29年(1954年)7月18日集中豪雨により、村で大規模な土砂崩れが発生。先代村長のご子息が行方不明になりました。
昭和30年(1955年)1月頃土砂崩れ現場で見つかった正体不明の物体が、鑑定前に所在不明になったと伝えられています。
昭和30年(1955年)頃開発計画は中止。村は大きな試練を乗り越え、新しい村長のもとで再建の道を歩み始めます。
昭和30年代結婚・子育て支援など、当時としては先進的な取り組みが進められました。来堕餅の味と製法も、この頃見直されています。
昭和42年(1967年)ごろ高台の「結乃宮」が整備され、後に「恋が成就する神社」として知られるようになります。
昭和45年(1970年)ごろ道路や生活基盤の整備、Uターンの呼びかけなど、村を守るための独自の取り組みが始まります。
平成初期道の駅きだが整備され、来堕米をはじめとする地元の農産物を販売する場が生まれました。
平成中期〜後期過疎化が進む地域が多い中、来堕村は今も変わらぬ人の温かさを大切に、歩みを続けています。
現在観光協会一同、来堕村の魅力を日々発信しています!

大地震の記録

来堕村は、山間の地形柄、古くから地震や地すべりと隣り合わせの土地でした。ここでは、記録に残る主な出来事をご紹介します。

伝承の時代 ― 村に伝わる最も古い言い伝えによれば、かつてこの土地では、毎年決まった時期になると、大地が激しく揺れ、嵐が村を襲っていたとされています。(詳しくは「むかしむかしのお話」をご覧ください)

記録に残る揺れ ― 郷土資料には、江戸期から明治にかけて、数十年に一度のペースで、地鳴りを伴う揺れが観測されたとする断片的な記述が残っています。ただし、規模や被害の詳細までは、はっきりと分かっていません。

昭和29年(1954年)7月18日 ― 集中豪雨と地すべりにより、村は大きな被害を受けました。数日前から「山鳴り」と呼ばれる地鳴りが、度々観測されていたとのことです。

その後 ― 幸い、これほど大きな被害を伴う地震・地すべりは、それ以降起きていません。村では現在も、防災訓練や避難経路の整備を続けています。